カバン・袋物・帆布加工一式 一澤信三郎帆布

一澤信三郎帆布の職人

第4回 社長 × 若手職人「なんとかかんとか、110周年」
一澤信三郎

代表取締役社長。昭和24年生まれの66歳。3人兄弟の真ん中で自由に育つ。小さい頃から住まいが仕事場だったため、常にミシンの音を聞き、帆布のにおいを感じる暮らしだった。大学卒業後、新聞社に10年勤め、昭和55年に家業に戻る。一澤帆布の創業から110周年、一澤信三郎帆布になってから9周年。いつもの自然体で新しい企画を考え中。

黒岩優大

製造部 下職担当。2014年入社(2年目)。26歳。群馬県出身。経済学部を卒業後、一般的な就職活動をせずに一澤信三郎帆布に履歴書を送り、職人の空きができるまで2年待って採用された。大学時代は陸上部で駅伝選手として活躍。2015年2月には京都マラソンに出場、足の豆をつぶしながらも3時間3分で完走した。

石田佳奈

製造部 下職担当。2008年入社(8年目)。27歳。お父さんの勤め先が一澤信三郎帆布の染めを手がけている会社という縁で、工業高校卒業後19歳で職人の道へ入る。ものづくりの現場にフレッシュな風を吹き込み、店舗でもお客様に「こちらの色がお似合いですよ」とアドバイスするなど若い女性のセンスを活かしている。

機嫌よう働いて、ええもん作ってくれたら

一澤の写真
信三郎: なんや二人とも緊張してるんか。
石田・黒岩: そうですね(照れ笑い)
信三郎: 普段はよう喋ってるやんか。
黒岩: 「ちゃんと栄養とってるか?」とか。
石田: 「どうえ〜?」みたいな感じで。
信三郎: そういえば普段はあんまり仕事の話はせえへんな。今日はちょっとぐらい仕事の話もせなあかんのやけど。あんたは入って何年になる?
石田: 私は8年目です。19歳で入って、今年27歳になるので。
信三郎: ついこないだ来たと思ってたのにな。
石田: 工業高校で京都の伝統産業について学んでいたのもあって、職人さんに憧れていたんです。入社したときはめっちゃうれしかったです。
黒岩の写真
黒岩: 僕は2年目です。大学は経済学部だったんですけど、自分が普通の就職活動をできると思えなくて。スーツを着て説明会に行くとか想像できなかった。それで本当にやりたいことを改めて考えたときに、何かモノを作りたいなと思ったんです。どうせなら、自分がいいと思えるモノを作りたいと。
石田: それが一澤のカバンやったん?
黒岩: そうなんです。一澤帆布のカバンは中学生のときにお土産でもらってからずっと好きで。募集してるかはわからなかったけど、直接、履歴書をこちらに送ったんです。その後、工場も見学させてもらって、もうここしかない!と思って群馬から京都に引っ越してきました。
信三郎: そのときはまだ職人の募集をしてなくて、ちょっと待ってもらってから入ったんやな。その間、年賀状も暑中見舞いも送ってくれるし、履歴書も手作りの帆布封筒に入れて送ってきた。
黒岩: それはもう覚えてもらおうという下心丸出しで(笑)。
信三郎: 私らが就職した時代は、ホワイトカラー、ブルーカラーという言葉が残っていた時代や。当時はみんなホワイトカラーになりたくて、ブルーカラーの職人は憧れの仕事やなかった。そやから職人を採用するのも苦労したんやけど、今は逆にものづくり、職人仕事が見直されてるやろ。こういう仕事がしたいっていう若い人が入ってきてくれるようになって、私らにとってはええ時代になったなぁと思う。一澤のカバンが好きで、一澤のカバンを使ってくれる若い人が職人として入ってくれるのが、私らの一番の希望やった。それが叶ってるのはほんまにうれしいことや。 実際入ってみてどうや?
黒岩: 全然ギャップはなかったです。入ってよかったと思っています。先輩たちもほんまに良くしてくださるので。
信三郎: 機嫌よう働いて、ええもん作って、お客さんに喜んでもらえたら、それが一番ええわなぁ。
黒岩: 今は小ミシンの下職を担当しているんですけど、思ってた以上に奥が深いです。同じ作業でも先輩と比べたらスピードも出来上がりのキレイさも違うし、単純な作業だけどやりがいがあって、ちょっとずつ成長していけるのが楽しい。
一澤の写真
信三郎: うちの仕事、面白いやろ。同じもんを大量に作ってるわけやないから。それぞれのチームで素材・色・形の違う何十種類ものカバンを少量多品種で作ってるもんなあ。
石田: 同じものをたくさん作った方が効率は良いのかもしれないですけど。いろんな仕事ができたほうが楽しいっていう社長の方針があって。
信三郎: 方針なんてあらへんで、みんなを放し飼いにしてるだけや(笑)。たぶん、よそと違うのは、一つのチームがいくつものカバンを同時並行で作っていること。例えば、同じ色のカバンを縫う場合は、3種類くらい形違いのものを同時に手がけたりする。そうすると金具の位置なんかも違うから、下職とミシンの連携が必要になってくるんやな。
石田: そうですね、段取り良くしようと思ったらけっこう頭も使います。
信三郎: うちはマニュアルがないから、職人たちが知恵を働かせて工夫してくれるねん。みんな仕事覚えるのが早いのはそのせいかもしれへんなぁ。

時代遅れが、いつのまにか新鮮に

石田: 社長はいつからこの仕事を始めたんですか?
信三郎: いつからって、私は子どものときから職住同居で育ってるねん。今の店があるとこやで。
石田: へえ〜!
石田の写真
信三郎: 毎日ミシンの音が聞こえて、帆布のにおいをかいで。昔はおくどさん(ご飯を炊く釜戸)に帆布の切れ端をくべてお湯を沸かしたりしてた。草野球が流行ったときにはうちの親父が帆布でベースを作ってくれたこともあった。小学生のときは学校にプールがなくて、うちの親父が狭い庭のなかに「プール作ったる」って言い出してん。帆布で外枠を縫って、端っこを柱にくくりつけて、水を入れたらプールになった。家にプールができた!いうて喜んでたら近所の子どもらがいっぱい集まってきて、泳ぐスペースなんか全然あらへん(笑)。
黒岩: 子どもの頃から、身近なところに帆布があったんですね。
信三郎: 当時は今のような一般のお客さん向けやなくて、業務用に使うカバンの注文が多かった。例えば金物屋さんがカバンに自分とこの屋号を入れて、左官屋さん、大工さん、植木屋さんやらに盆や暮れの御礼に贈らはるんや。帆布に屋号の型を刷り込んだり、縫いあがったカバンを裏返して形を整えたり、そんなんよう手伝わされたな。
石田: その頃からネームも付けてはったんですか?
かばんの写真
信三郎: 昔は判子やった。織ネームになったのは昭和30年代くらいかな。今のロゴは漢字やけど、一時はKYOTO ICHIZAWAっていうローマ字のロゴを一部に使ってたこともある。登山用のザックやテントなんかを作ってたときは、山岳隊や探検隊がヒマラヤなどの高山やアマゾン、アフリカなどの秘境を目指して海外に遠征するっていうのでローマ字のロゴをつけたんかなぁ。
黒岩: ネームによって時代がわかるんですね〜。
信三郎: そうや。今は織ネームに住所が記載してあって珍しいと言われるけど、あれは電話やネットがなかった時代に「ここに訪ねて来てくれはったら直しますよ」という意味で入ってるねん。ブランドというより、品質保証やな。
石田: なるほど、品質保証なんですね。
それで学校卒業してすぐ一澤帆布に入らはったんですか?
信三郎: 学校出て10年ほどは新聞社に勤めててん。32歳で家業に戻ってきたんかな。今思えば、もし東京にでも配属されてたら継いでたかどうかわからんのやけど、大阪勤務で京都に住んでたから、たまに実家に寄ったときに親父が年とったのがわかる。当時は職人さんが10数名かな、高齢化してだんだん家業にも元気がなくなってくるし、継ぐんやったら今しかないなぁと思ったんや。
黒岩: 社長の代でめっちゃ大きくなったんですね。
信三郎: 自然とな。家業としては衰退した時期に帰ってきたから、いろんなことが経験できて良かったかなと思ってる。
石田: 社長が継いでから、何か工夫されてきたんですか?
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信三郎: 工夫っていうのはないねんけどな。うちの親父もそうやったように、あんまり金儲けに走らんかったのが良かったのかもしれん。一時期、登山用の帆布製品を主に手がけてた時期もあるんや。戦後、経済成長のなかで余裕ができて、各大学に山岳部や探検部なんかができて、探検調査に出かけるわけ。そうすると帆布のテントやリュック、キスリング、調査用のカバン、ヤッケ、ポンチョ、バケツなどの注文がたくさん入ってくる。親父も「これはいける」と思ったことがあると思うわ。でもそのとき登山用品に特化していたら今の一澤はなかった。今、大学の山岳部や探検部は消滅しかかっているし、登山用の帆布製品はもっと軽い素材の化学繊維のものに変わってる。売れるからと言うて販路を広げすぎひんかったことが、今になっては良かったんちゃうかな。そやから今も「製造直売」というかたちを守って、多品種少量生産でやろうというこだわりがある。
黒岩: でも一澤信三郎帆布が人気になって、東京あたりで店舗を出しませんかっていうお誘いもあるんじゃないですか?
信三郎: あるある。スカイツリーに出店しませんかと言われたときは、「高所恐怖症ですねん」って断った。
石田・黒岩: (笑)
信三郎: お誘いいただくのは大変ありがたいことやけど、「製造直売」ならではの良さもあるからな。うちでは職人も店頭に立ったり、たまのデパートの催事では、うちの販売スタッフや職人が必ず会場に行ってお客さんと話したりする。そうするとお客さんのいろんな質問に職人が答えられるし、こんなカバンがあったらという要望も聞けるわな。今は大量生産・大量消費の時代で、少しでもコストを減らすために海外に製造現場を移転しているとこが多いけど、その場合、数個や数十個単位では対応できひん。記念品のカバンを50個作ってほしいという要望を、中国やベトナム、パキスタンの工場がきちんと応えてくれるとは思えへんやろ。うちの場合はお客さんとは対面販売で距離がものすごう近いぶん、細かな要望に応えられる利点があると思うな。
石田: 「製造直売」というスタイル自体、時代に遅れているようで逆に新しいというか。
信三郎: 時代に遅れ続けているようで、周回遅れで追い越しているような感じもあるやろ。
黒岩: 僕は何回か店舗に立ったことあるんですけど、自分がさっきまで作っていたカバンが店舗に並んで、お客さんが手に取ってくださるだけでうれしい。さらにお客さんが話しかけてくれたり買ってくださったりすると、すごくやる気につながります。作る人と使う人の距離が近いのは僕らも刺激になりますね。
石田の写真
石田: 店舗では、お客さんがカバンを選んでいるときの楽しそうな雰囲気を味わえるのがうれしい。「実はこれ私も作っているんです」「ここがこだわりの部分なんですよ」と話していると、お客さんも興味を持って聞いてくれはります。
信三郎: そういえば先日、知人が一澤のカバンを持ってパリに行ったら、現地のフランス人が「一澤のカバン知ってる!」って言ってたと聞いたな。案外、ここで売ってるだけでも世界に広がってるんや。
石田: 一澤のカバンを持っている人同士が旅先で会って、「あなたも京都に行かれたんですか?」というところから会話が始まって友達になった、なんて話も聞きますよね。

思いつきだけの男やから

信三郎: うちはカバンの種類が多いのも特色やな。まず廃番や廃色がないやろ。そやから職人たちには時代に沿うた「新作考え」って言うてるけど、あんまり考えすぎて、ぎょうさんでき過ぎても困るわ(笑)。今年入ってからも新作が3つできたんやな。
石田: そうですね、なかなか好評みたいです。
信三郎: 新作会議は月1回やって、その時々に関心のある職人や販売スタッフが参加する。誰も出てこんときもあるねん。そのへんがうちらしいやろ。
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黒岩: 僕も何回か参加しました。自分一人ではまだカバンを作れないので、紙にアイデアを書いて先輩に手伝ってもらって。でも甘かったです。僕は冬に灯油ストーブを使っているんですけど、ガソリンスタンドに灯油を買いに行くときのポリタンク用のリュックがほしいと思って考えたんです。実際できあがったリュックは、ポリタンクのサイズにぴったり!ただ、それを新作として出して誰が買ってくれるのかというツッコミが入りまして(笑)。
信三郎: まぁそんな突拍子もないアイデアも面白いな。若い人からアイデアが出ると、また違う意見も出てきて活発になるし。うちでは新作会議でいい案があったら、まず試作品を作って、そのあと何度か手直しして、数ヵ月間集中的に何人かで使ってみる。それで不具合があったところを改良して、ようやく10個ほど店頭で販売する。そこから売れ行きがよければ数やカバンの色を増やしていく。いきなり何百個も作って売ることはせえへん。使い勝手が悪い言われたら、わやや。販売前に自分たちが使ってみて、お客さんの反応を見ながら徐々にやな。
石田: 新作を次々と発表するというのは戦略ですか?
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信三郎: 同じもんばっかり作ってたらお客さんに飽きられるしな。それに時代の風を受けて、時代のにおいをかいで、時代に合ったもんを作っていくことやろうな。作る側でも同じもんばかりやと面白味もないやろう。
黒岩: 確かに、いろんなカバンがあると作るほうも面白いです。今は110周年の企画を考えているんですよね。
信三郎: 私はいつも思いつきだけの男やから。110周年限定のオリジナルの柄を作ろうと思って、私がひらめいたのは道具づくし。昔から、宝づくしや貝づくしなどの文様があるやろ。うちでは職人の七つ道具。ミシンや針、ボビン、ハサミ、木槌などを柄にしたらどうかと思って、社内でいろんな人に描いてもらった。8人くらいが描いてくれたんやけどな、みんな才能があって上手や。けっこう面白い道具の表現が出てきたから、個人個人のタッチの違いを活かしてカバンやTシャツや手ぬぐいにしようと思ってるねん。ちょっと内緒で見本柄を見てみよか。
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石田・黒岩: わ〜素敵!かわいい!
信三郎: ええやろ。うちの職人はみんなけっこう才能あるねん。他にも110周年記念でカバンを購入してくれはったお客さんに缶バッチをプレゼントしようということで、何種類かバッチのデザインも考えてるところや。
黒岩: 社内で全部できるところがいいですよね。
信三郎: 道具づくしの柄のカバンは、4月末くらいに店頭に並ぶ予定。他にも110周年のアニバーサリー企画を色々やってみようかと思ってる。乞うご期待やな。二人とも手伝うてや。

オマケのコーナー
「若手職人から社長へ素朴な質問」

Q.1

石田: 社長のエネルギーの源は何ですか?
信三郎: 風呂あがりに冷たいビールを飲むこっちゃ。

Q.2

黒岩: 社長にとって、一澤信三郎帆布のカバンって何ですか?
信三郎: あんたらの思いがつまったもんや。せやから、できるだけ間違いのないええもん作って、それを使って喜んでもらって、末永く愛用してもらうことが一番やな。でも大事なんは独創性、独自性やで。よそとの違いやろな。うちらしくなかったらあかんねん。この答えは優等生すぎたかいな。

Q.3

一澤の写真
黒岩: 京都の暑い夏を乗り切るにはどうしたらいいですか?
信三郎: 思い切り汗かいて行水したあとの冷たいビール。って同じ答えになるやないか。それよりうちの風通しはどうや?
黒岩: すごくいいと思います。
信三郎: ちゃんと風通ってる?詰まったりしてへん?
黒岩: はい、自分が知る限りは。
信三郎: それは何よりやな。
石田: そういうオチで(笑)、うまい話で終わりましたね。

Q.4

石田: 社長が家業の一澤帆布を引き継がれたとき、こういう会社にしていきたいという将来像や目標はありましたか?
信三郎: そうやなぁ、あんまり一生懸命っちゅうことはないねん。みんなと一緒に働いて、世の中に認められるようなものができたらいいなあと思ってたなぁ。とりあえず会社の規模が大きかったらいいとか、売上を増やして強くなったらいいとか、そういうふうに思ったことはない。もし会社が大きくなったら、支店ができて転勤せなあかんやろ、恋人や家族がいたら離れ離れになるやんか。そうなったら、ほんまに大きくすることが社員にとってええんかどうかやなぁ。個人的には自然に大きくなるのはいいと思うけど、無理して大きくすることはないと思ってる。

Q.5

石田の写真
黒岩: 社長自身の夢とか目標は何ですか?
信三郎: 夢はね、振り向いても落ちてない。前にしか落ちてない。あんたらの夢は何や?
黒岩: 何年か前は一澤帆布に入るっていうのが夢で、入ることは達成できました。これからは早く先輩みたいに一人前になりたいって思っています。
信三郎: 石田さんはどうや?
石田: 今は下職ですけど、ミシンもできるようになって、「これ自分が作ってん」と自信をもって言えるような、人に自慢できるようなカバンを作りたいです。
信三郎: 若い人たちの夢はええな。これから久しぶりに若い人を採用しようと思って募集してんねん。学歴や男女にはこだわらへん。やっぱり次世代へ繋いでいかんとあかんからな。

編集後記

社長と若手職人という、ずいぶん年の離れたメンバーでの座談会。若手の2人が緊張しているのかなと思いきや、意外と社長も少し緊張していた様子です。社長は、若手から「職場の風通しがいい」「仕事が楽しい」と聞いてホッと一安心。若手の2人は、社長から昔話や会社についての思いを聞くことができて興味深かったようでした。110周年を迎える当社の未来を創っていくのは、若い職人たち。座談会に登場してもらった2人にも、これから入ってくれる人にも活躍を期待したいと思います。そして110周年の記念企画もいろいろ考えていますので、皆さまどうぞお楽しみに。